「うるしの駒や」と「駒本蒔絵工房」について

「うるしの駒や」と「駒本蒔絵工房」は業務提携を結び、多彩な器や漆器の金継ぎ、修理など、柔軟に対応する体制づくりを目指しています。

薮下喜行「うるしの駒や」代表 / 金継ぎ、拭き漆

福井県の黒龍酒造で酒造りや企画などに従事後、越前漆器の伝統工芸士 駒本長信氏に師事。2022年、金継ぎを扱う「うるしの駒や」を創業。

駒本長信「駒本蒔絵工房」代表 / 蒔絵の伝統工芸士

雅号長翠。うるしの駒や薮下喜行の師。肉合蒔絵技法を極め、軒下工房初代座長を務めるなど、越前漆器の技術向上と後継者育成に尽力する。

薮下小春「漆工房はる」/ 蒔絵

福井県鯖江市生まれ。大学4年から駒本氏の下で蒔絵を学ぶ。福井県の長期伝統工芸職人塾受講生。2024年に「漆工房はる」を創業。2022年度、越前漆器展覧会県会議長賞受賞。

小春 鯖江市河和田地区は、日本で最も古い漆器の生産地として日本四大漆器産地の1つに数えられますが、駒本蒔絵工房がある片山集落がその中心だったと、大学の卒業論文の調査インタビューでお聞きしました。

駒本 片山には耕作地が乏しく、農業だけではやっていけなかったため、昔から細々と続いていた漆器に行きついたのでしょう。漆器産業が盛んになると、様々な地域から漆職人が移住するようになり、他の河和田地区の集落とは異なる独特な文化が生まれます。変わった姓が片山に多いのは移住者が多いからであり、駒本家も元々は石川県の山中から移り住んできました。あちこちから集まった人間、あちこちに売り歩いていた人間の集まりがこの産地を作ったともいえます。

小春 多様性が越前漆器産地を生み出したのですね。それは蒔絵のお仕事でも同じですか?

駒本 越前漆器産地の蒔絵のルーツは、おそらく明治時代に京都の蒔絵技術の伝来から始まったのですが、その後、輪島などからいろんな流派が伝播してきたと思われます。私の師匠であり義父でもある駒本力三は熊本出身の蒔絵師に師事しました。蒔絵についても、それぞれ技法が異なる多様な蒔絵職人の集まる地域でした。

小春 そのおかげで、駒本先生は多様な蒔絵の技法を身につけることができたのですね。

駒本 いや、この産地で高度な技術を学ぶことは簡単ではありませんでした。産地が隆盛を極めていた昭和40~60年頃は、簡単な平蒔絵がほとんどでした。越前漆器産地は他産地に先駆けて漆器の大量生産に対応し、経済の成長に乗って全国的に営業活動を行う漆器産地として成長していきます。

輪島や京都に代表とされる高級品の漆器産地とは異なり、全国的なニーズに合わせた普及品が多かったため、業務用漆器などに安価で早く描ける蒔絵の需要が大きかったのです。コストや生産性に配慮しつつ、見た目の豪華さを目指す先にあったのが、平蒔絵の磨き蒔絵でした。

そのような事情もあり、越前漆器産地には高度な蒔絵技術を活かす機会がほとんどありませんでした。ただ、平蒔絵の磨き蒔絵の技法については他産地よりも秀でており、今でもこの産地の蒔絵の特長だと思います。

薮下 平蒔絵の磨き蒔絵といえば、金継ぎの技法とつながりますね。しかし、そのような環境下で、どのようにして駒本先生は肉合蒔絵や皆研ぎ出し蒔絵などの難しい技法を修得されたのですか?

駒本 肉合蒔絵は加藤静月先生から教わりました。加藤先生は河和田出身なのですが、京都の蒔絵師の下で修業されており、河和田にない技術をお持ちでした。ちょうど私が、書籍などで見る蒔絵と自分が描いている蒔絵との違いを感じて始めたころに、加藤先生から声を掛けてもらい、本当に渡りに船でした。

仕事が終わった後に、3年間ほど加藤さんの下へ通い、その後、蒔絵師や沈金師仲間と結成した「漆琳会」で切磋琢磨することで、今日に至る技法の多くを習得することができました。

薮下 金継ぎの技術についても同様ですか?

駒本 金継ぎと初めて出会ったのは、敦賀短期大学日本史学科で「漆工芸演習」を教えていた頃です。確か平成17~18年頃かと思いますが、先輩職人に「金継ぎ講義」の手伝いを頼まれたことがきっかけでした。その後は細々とやり方を研究してきましたが、ここ5年ぐらいで金継ぎの仕事が徐々に増え、最近は急増していますね。

薮下 メディアが金継ぎを取り上げることで、一般の方の認知も拡がっている気がします。修行中には、知人の器で金継ぎの練習を積ませてもらいましたが、最近金継ぎのことを知って、自宅に古くからある欠けたままの骨董や、思い出のカップなどを修理できることに気付かれた方が多かったです。ものを大切にする価値観の高まりを感じました。SDGsが叫ばれる社会背景にも合っているのかもしれません。

2020年の国際平和デー記念式典では、アントニオ・グテーレス国連事務総長が「破片をつなぎ合わせて新品をしのぐ器を作る金継ぎ」、2021年のパラリンピックの閉会式では、国際パラリンピック委員会のアンドリュー・パーソンズ会長が、「誰もが持つ不完全さを受け入れ、隠すのではなく大事にしようという考え方」と、日本の「金継ぎ」文化に触れられています。多様性を重視し、環境負荷を少なくして、持続可能な社会の実現を目指す現代において、「金継ぎ」はSDGsを象徴する我が国の文化とも言えると思います。

SDGsといえば、駒本先生は「河和田アートキャンプ」や娘がお世話になっている「伝統工芸職人塾」など、人材育成や技術の継承にもかなり力を入れられていますが、その原動力はどこから来るのですか?

駒本 衰退している地元の産業を見ていて、少しでも産地をアピールし、漆の良さを伝えることに繋がればと思っています。自分ができることは、職人の立場で見学者や体験者を受け入れることなので、それによって底辺が拡がり、ファンが増えてくれれば嬉しいですね。やはり産地というものは、だれか1人だけが成功するのではなく、集積している産地機能が残っていくことを考えなくてはいけないと思います。

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